語る I LADY. 走ることで、人生そのものが変わった。一生同じ自分の体を大切に

走ることで、人生そのものが変わった。一生同じ自分の体を大切に

モデル

長谷川理恵さん

1973年12月1日、神奈川県生まれ。鎌倉在住。1993年よりファッション誌のモデルとして活躍。ランニング歴20年、フルマラソン自己ベストタイムは3時間15分36秒。
第一子を出産後もマラソンを続けており、数々の大会に出場を果たす。
食・ファッション・スポーツを通して様々な活動を推進。現在、インスタに度々アップしているトレーニング“リエトレ”が話題!
Instagram: https://www.instagram.com/rie_hasegawa/

ファッション誌のモデル、ヴィーガン・スイーツのつくり手、そして<アンダーアーマー>ブランドで知られる株式会社ドームの契約アスリート。長谷川理恵さんの多岐にわたるアクティブな活動は、I LADY.が掲げる「Love Yourself」(=自分を大切にする)、「Act Yourself」(=自分から行動する) 、「Decide Yourself」(=自分の人生を、自分で決める)を体現しています。長谷川さんが送るI LADY.な生き方、その原動力を伺いました。

01

「息子の笑顔のため」から「誰もが楽しめるヴィーガン・スイーツ」へ

ジョイセフと理恵さんとの出会いは、2018年のホワイトリボンランでした。

いま暮らしている鎌倉で、地元のピラティスの先生や、友人でモデル仲間の敦子さんから<ホワイトリボンラン>の話を聞いたんです。I LADY.アクティビストの先輩でもある敦子さんからはジョイセフのことも聞いていて、鎌倉でランイベントがあるならぜひ参加したい、と思ったのがきっかけでした。地元のイベントだったので、当日は息子も一緒に走りました。これまでにもチャリティランは何度も走ってきましたが、海辺を走ることはあまりないので、それも馴染みやすくてよかったですね。

理恵さんはスイーツの世界でも、ヴィーガン ペイストリー アーティストとして活躍されていますよね。

もともと、息子に卵や乳製品のアレルギーがあって、赤ちゃんの頃は母乳以外は受け付けなくて、ヨーグルトなども食べると全身蕁麻疹を発症してしまうくらいにひどかったんです。それまで自分でケーキをつくろうなんて、あまり思ったことはなかったのですが、息子も美味しく食べられるデザートをつくりたいと思ったのが、ヴィーガン・スイーツの道に入ったきっかけです。

どうやってヴィーガン・スイーツを学んだのですか?

ヴィーガン・スイーツ界の第一人者である岡田春生先生に弟子入りして、教わったものをアレンジしてつくっています。息子以外の食物アレルギーを持つ子どもが、同じケーキを食べることができますし、それを見たお母さんたちも喜んでくれるのが嬉しいです。岡田先生のレシピで作るケーキは、ヴィーガン・スイーツだと気づかれないくらいにふわふわで、クリームも美味しいんです。

ヴィーガン・スイーツという言葉だけで判断すると、「不自由で美味しくない、味気ない」というイメージを持っている人もいると思います。

そうですよね。私は別の名前を見つけたいと思っています。ヴィーガンかどうかに関係なく、アレルギーがある人とない人が、みんなで同じものを美味しいと感じながら食べて、それを体がすっと受け入れてくれるのが理想です。息子の誕生日パーティーでヴィーガンのケーキをつくって出したときに、アレルギーのある息子や幼馴染の女の子だけではなく、他のアレルギーのない子たちもおかわりするくらいに食べてくれたんです。それを見て、ヴィーガン・スイーツは誰もが食べられる、と確信して。

つくるプロセスとしては難しいのですか?

ヴィーガンのケーキは、クリームを1からつくるところから始めないといけないので、少し手間はかかります。でも、そのときの子どもたちの食べっぷり、嬉しそうな笑顔が、やる気の源になっていますね。今の私はお店を持っているわけではなく、イベントなどを中心にお菓子をつくっていますが、ヴィーガン・スイーツが当たり前なものになるくらいに広めていきたい。

大人でも小麦、魚介、甲殻類、卵とか、食べられない人やアレルギーのある人はいます。でも、そういう人のためにも対応できる、ヴィーガンではないケーキよりも美味しくて、見た目も美しいものをつくりたいですね。そこにはこだわっていて、パリに修行に行ったときに、ピエール・エルメさんの工房などで技術を学ばせてもらいました。

02

やると決めたからには、100%の力でやり遂げる

お菓子づくりを学ぶためにパリまで行ったんですね。理恵さんの人生には、強い気持ちで自分のために決断してきたことがたくさんあるのですか?

実は、私は自分から何かを決めてやるというよりも、何かの機会が訪れて、そのタイミングでキャッチする、という流れで動くことが多いんです。野菜を料理する機会を得て野菜ソムリエになったこともそうですし、モデルになったのもたまたまスカウトされたから。でも、やると決めたからには、徹底的に追求すると腹を据えていて。岡田先生に弟子入りしたときも、「やるからにはちゃんとやってください」と言われて、「魂を込めてやらなきゃ」と覚悟を決めました。

その結果、息子さんだけじゃなく、ヴィーガン・スイーツを喜んでくれる人がたくさんいることがわかった。

だから、もっと自分の腕を磨いて、美味しいものをつくれるようになりたいと追求し続けています。私はいろいろなことをやっているので、器用に何でもこなせると思われるかもしれません。でも、そうではなく、自分がやると決めたことに集中して取り組んでいるんです。

走ることもそうですか?

マラソンも、テレビ番組の企画で声がかかったのがきっかけでした。フルマラソンは簡単に走れる距離ではありませんが、一回走って終わりという気持ちにはならなかったですね。今は11月の横浜マラソンに向けてトレーニングしています。

走ることによって、理恵さんの中で何か変わったことはありますか?

私の人生そのものが変わりました。走り始める前の20代前半の私は、食べていないから痩せていたんです。栄養価は考えずにカロリーの数字だけを見て、1日これだけしか食べられないなら好きなお菓子だけ食べよう、一食でプリン一つ、とか(笑)。そんな食生活だから体はボロボロで、生理痛はひどいし、貧血や冷え性も抱えていました。

当時は若かったからメイクすれば表向きはごまかせたけれど、いつも具合が悪かったんです。そんな状態からフルマラソンを走ることになったのですが、筋肉がついていないから、「最初は歩くところから始めてください」とコーチに指導されました。

食事についてはどんな指導がありましたか?

タンパク質とか、体に必要なものを食べるように、と。1カ月、コーチの言う通りにしていたら、10キロ走れるようになっていました。体は健康的になったし、肌も化粧水を弾いちゃうんじゃないかと思うくらいピカピカになって。好きだったタバコも美味しくないと感じて、自然とやめるようになったんです。

目標もできて、そのために努力するようになりましたし、気持ちも前向きになって、やればやるだけ良い方に変わっていきました。モデルの仕事も、前よりも本気でできるようになったんです。学校で体育の成績はごく普通だった私が45歳になって<アンダーアーマー>と契約することになったのも、スポーツを続けていたからですし、ジョイセフとの出会いもランニングのおかげです。

今はどんなトレーニングをしているのですか。

週1回ドーム・アスリート・ハウスでコーチの指導のもと、フィジカルトレーニングを受けています。2000年から走り続けてきて、ほぼ同じコーチと同じメニューで目標タイムを達成してきたのですが、出産して3年間ブランクを空けたら、その間に練習メニューが進化して、効率も良いものになっているんです。

何を食べて、どんなトレーニングメニューで、と最短でパフォーマンスを出してみたいと思いました。もちろんトレーニングがつらいことは変わりませんが、昔みたいに「根性で距離を走れ」というトレーニングではなくなっていることを知ったのも面白いですし、結果も楽しみです。

理恵さんは、以前から努力家だったのですか。

走り始めるまでは、努力らしい努力をしたことがなかったんです。就職活動もせずに雑誌の専属モデルになって、お仕事もいただいて、何の不自由もなくやってきました。だからマラソンで初めて苦しい思いを経験したのですが、同時に自分が頑張っているという手応えも感じました。何事も、本当に好きじゃないと頑張れないじゃないですか。

仕事で仕方なくやらされているのだったら、マラソンなんて続けられないと思います。

<アンダーアーマー>と契約するときに、「理恵さんにフルマラソンまで走ってほしいとは思っていないので、安心してください」と言われたんです。自分でも「確かに無理ですよね」と答えましたが、広告の写真撮影があったときに、他の契約アスリートは本格的なプロばかりだと気づきました。彼らと一緒に、走りのプロでもない私が写って、広告に出てもいいのかと、疑問に感じたんですね。それで自分から「走らせてください」と申し出ました。フルマラソンの準備は過酷ですし、自分でやろうと覚悟を決めないとできませんから。

03

勇気を出して、ときには休もう

やると決めたことにコミットするためには自己管理が大切だと思いますが、日頃から心がけていることはありますか?

運動することと、食事の内容と、質の良い睡眠ですね。それから、疲れを溜めないことです。やはり年齢を重ねると、免疫力が下がったり、気持ちは前向きなのに体がついてこなかったりすることがあります。そんなとき、自分を過信せず、休むことを心がけています。マラソンの練習も、8の頑張りと2の休息というバランスを大事にしていて。

休むことを決めるにも勇気が要りますよね。

子どもがいると、休みたいのに休めないこともありますからね。そんななかでも、走る時間、子どものための時間、自分のための時間、とうまく調整して臨機応変にやっていかなければなりません。「できない」と言葉にすることが続くと、自分を追い詰めてしまうことにもなりますから。

食事は、管理栄養士さんから良い油を火を通さずに摂ると良いと教えられたので、積極的に摂るようにしています。それから、青魚もパフォーマンスの向上につながるので、時間がないときはサバの缶詰でもいいので取り入れています。タンパク質も多めに摂って、これまで飲んでいなかったプロテインを飲むようにしたら、白髪がなくなって、髪が真っ黒になりました。睡眠は忙しいと思うようにとれないこともありますが、それでも運動している方が眠りは深くなると思います。

20代で走ることと出会い、自分の体を大切にしてきた理恵さんから、10代、20代の若い女性に伝えたいことはありますか?

自分の体は一生、同じもの。死ぬまでこの体で生きていかなくてはなりませんし、必ず年をとって、おばあさんになる日が訪れます。そのときまで元気でいられるように、体を大切にしてください。私も10代、20代の頃はその日のことしか考えていなくて、具合の悪い体で生活していました。でもマラソンに出会って元気な体をつくれるようになりました。このまま、100歳くらいまで元気でいられる自信があります。

I LADY.では若い人たちに、自分の体や性について知ってほしいと活動しています。理恵さんは息子さんに、性のことや女性のことをどう伝え、どんな大人になってほしいと思っていますか?

性については、理解できる年齢になったら、早めに教えたいですね。親友の敦子さんは助産師を目指して勉強をしていて相談できますし、息子に彼女ができる前に教えたいと考えていて。小さい頃ほど、素直に話を聞いてくれますしね。今、息子は6歳で、異性を意識する最初のタイミングのようです。おっぱいに興味があるようで、「触らせて、どうなってるの?」と頻繁に聞いてきます(笑)。

(笑)どう答えているんですか。

それを叱るのではなく受け入れると同時に、「友達や学校の先生のおっぱいは、勝手に触っちゃダメなんだよ」と教えています。生理のことも、以前出血しているのを見られたことがあって、「ママ、血が出てる!」と驚いていたので、女の人は赤ちゃんを産む準備で月に一回生理があることや、それが自然なことだと説明しました。そうすると、気付いたときに「あ、今日は血の日なの?」と聞かれたりしますね。また、一人の人間として、自分の選んだ仕事で社会の役に立てる人になってくれたら、親としてこれ以上に嬉しいことはありません。

日本では性教育が学校教育で教科として徹底されていないので、インターネット上の嘘の情報に騙されてしまうことを心配しています。だからこそ、私たちは子どもを育てる親世代にも、子どものための性教育に備えるプログラムを提供していきたいと考えています。

今はスマートフォンやパソコンでたくさん情報が入ってきますし、女の子なら出会い系などで危険にさらされてしまうこともありますよね。そういう現状の対策となるプログラムであれば、私もぜひ参加したいです。

取材・文:I LADY.編集部
編集:加藤将太
*この記事は2019年8月7日に取材したものです

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