東京都渋谷生まれ。有機農法実践家の故・藤本敏夫氏と、歌手加藤登紀子氏の次女で、三児の母。24歳のときに歌手としてデビューし、NHKみんなのうたや人気ゲームソフトの主題歌を歌唱。29歳で千葉県の鴨川に拠点を移し、現在「半農半歌手」として活動している。2020年10月には、歌手20周年を記念したアルバム『On the Border』をリリース。
ウェブサイト:https://www.yaenet.com
2020年、シンガーソングライターとしての活動が20周年を迎えたYaeさん。全国各地でライブ活動を行う一方、千葉県鴨川市にある里山に拠点を置き、「半農半歌手」として現在も活動中です。その聞きなれない肩書の裏側には、何事も臆せずにチャレンジする、Yaeさんならではの“リアル”を伝える姿勢が見えました。
Yaeさんは現在「半農半歌手」として活動されていますが、歌手として活動を始めたきっかけは?
私、昔から勉強が大っ嫌いで。学校に行く意味もわからないと思いながら生活をしていました。だから、高校を卒業した後は大学も行かずにプラプラと過ごしていたんです。
そんな中、歌手である母・加藤登紀子に「ヒマだったら踊りでもやってみれば?」と言われて、ダンスを始めました。そうしたらいきなり先生に、発表会でソロで踊ってと言われたんです。いざ一人でステージに立ってみて、“自分だけの表現”ができることの喜びを知りました。やりたいこともわからずふらふらしていた自分にとって、とても刺激的な経験でした。そこから自分の中から湧き出てくるものを音や表現に残すようになって、シンガーソングライターとしての活動が始まりました。
では農業を始めたきっかけは?
音楽を全力でやり、「自分って何だろう」と模索しながら4年間歌い続けて、レコード会社との契約がひと区切りついたんです。「これからどうしよう?」と思った時、ふと幼い頃、父(故・藤本敏夫氏)に連れて行ってもらった、千葉県の鴨川市にある里山を思い出し、足を運びました。
そこで、たまたま出会った男性に指導してもらいながら、一生懸命土を掘ったり雑草を抜いたり…気づいたら、きれいになった畑が目の前に広がっていて、「なんじゃこの快感は!」と感動で震えました。大地からもらうパワーに気づかされた瞬間でした。
電化製品って、電気を逃がすのにアースをつけますよね?人間もストレスや悩みなど、溜まったものを逃がすのに、土に触れることで“アーシング”ができるんだと思います。そのすっきりとするデトックス効果に魅了されて、農業を始めようと思いました。私にとって新しい“農業”という挑戦をしたら、“歌手”という肩書だけの私より、豊かな人生が送れると思ったんです。
そこから全く違うふたつの仕事を同時にしようと思ったのですか?
基本的にやってみれば何とかなると思っています。それよりも、自分自身ももう30歳か…という漠然とした不安のほうが大きかったかもしれません。
農作業を終えた後、みんなで焚火を囲んでビールを飲んで、本音で話ができました。農作業のおかげで、自分がこんなに素直になれるんだということにもビックリ。農作業を教えてくれた彼といろいろと話して、「この次の人生はこの人と過ごしてもいいかもしれない」と思って。そこから自分からアプローチをして(笑)、今では無事に三人の子宝にも恵まれました。
30歳の夏、半農半歌手生活が始まってから、どのような日々を過ごしていますか?
レコーディングやラジオなどの仕事がある日は東京に行きますが、普段は鴨川で生活をしています。毎日5時半に起きて、6時半には車で子どもたちを学校に送る。7時には自分の仕掛けた罠を山に見に行きます。私、農作業だけに飽き足らず、狩猟免許まで取ったんですよ!自分にこんな野性的な一面があったんだと知って、驚いています。罠に獲物がかかっていたら、その日は即“さばくモード”に切り替わります。かかっていなかったらメールの返信などの仕事をした後に、農作業を手伝います。
基本的に農業の生活が主軸になっているんですね。楽曲制作はどんな時にされているのですか?
普段はなかなか時間がとれないのですが、「曲を作って!」と言われたらすぐに作れます。イノシシをさばくように勢いよく(笑)。とにかく、やることがたくさんある時ほど力が湧いて、いい曲が思い浮かぶんですよ。農作業中や子どもの送迎中に思いつくことが多くて、その時はスマホで即録音します。ウインカーの「カチカチ…」って音が入っていることもしばしばあります。最近では本当にスマホひとつあればなんでもできるので、時代が変わってきてるな~とつくづく思わされます。
Yaeさんにとって農家と歌手、どちらもかけがえのない職業なんですね。
あんなに勉強嫌いな子どもだったのに、今は学ぶことがとっても楽しくて。知りたいことがとにかくたくさんあるんです。知りたいことはひたすら調べて、ノートに鉛筆で書きこんでいます。別に学生じゃなくても勉強したっていい。新しい知識を得られることで、また違った価値が見えてくるかもしれないから。
でも、何事も前のめりでやりすぎると、見えないことが増えてきちゃうと思うんです。頑張れば10できることでも、8くらいにしておけば残りの2が貴重な時間になるかもしれない。たまに重心をふっと後ろに下げることで、普段は見えなかったことが見えてくるようになると思うんです。歌を歌うときだって、重心を下げたほうがいい声が出ます。
さらには母親という一面も…何事にも全力で、息切れしないですか?
中3と中1の男の子と、小1の女の子がいますが、すべてを自分一人で完璧にやろうとしないことが大切です。子どもたちにも自分の畑で取れた野菜を使ったご飯を作らなきゃ!と気張ってしまうと疲れちゃうので。「今日はコンビニやレンチンでもいいかな?」と子どもたちに聞くと、逆に「やったー!」と言われることもあります(笑)。程よく肩の力を抜いて、がマイルールですね。
今後どのような活動をしていきたいですか?
里山にはたくさんの自然があって、そこで子どもたちが遊び回れるような「森のようちえん」を作りたいんです。子どもたちが自由に木を切ったり燃やしたりできるような、都会の幼稚園では絶対にできないような経験をさせてあげたい。
そして、これからの超高齢化社会に向けて「老人ホーム」も作りたいです。この村には一人暮らしの女性が多くて、そんな女性たちの心の拠りどころになるような場所を提供できたらと思っています。自分自身が老いていって「将来ここで老後が過ごせたらいいな」と思えるような施設にしたいんです。やりたいことがありすぎて、体がひとつじゃ足りませんよ!
Yaeさんのように固定観念にとらわれない生き方をするのは、勇気のいることではなかったですか?
最近の若い女性って、常に決断に迫られているような気がするんです。大学を卒業したらどこに就職するのか、結婚はするのかしないのか、子どもは産むのか産まないのか…。でも、人生って「曖昧」でいいと思うんです。日本には、意味を求めない「雅(みやび)」という素敵な言葉があります。曖昧な、淡い、柔らかさをもつ日本人って本当に素晴らしい。だから、決断を迫られてストレスを感じている女性に「雅」でいいんだよって伝えたい。仕事だって、やってみて違うって思ったらやめたっていい。いつだってシフトはできるんだから。私のように、歌手や農業、狩猟まで始めて、いろんな肩書きがある人だっています。
不安があったとしても、「やってみたい」「成し遂げた自分を見てみたい」と思うことが大切。未来の自分を思い描きながらいろんなことにチャレンジして、自分の新しい“引き出し”を増やしていってほしいです。
人生に迷っている若者たちに、どのような声をかけたいですか?
今の若い人たちに「君たちは自由だよ」「なんでもできるよ」って言うと、「それって無責任じゃないの」っていう声もあると思うんです。小学校、中学校、高校と整列していた環境で、いきなり社会に出て「自由だよ」って言われても、確かに困るかもしれません。
なので、私自身は「こんな生き方もあるんだよ、こういう選択肢もあるんだよ。でも現実にはプラスもマイナスもあるんだよ」って、選択肢のひとつとして見せていけたら思っています。
人生を選択する力は自然と身につくものなのでしょうか?
まずはやってみる、それしかありません! 私も、20代の頃は将来狩猟免許を取って肉をさばいているとは思っていませんでした。自分にはこんな才能があったんだ、と“新たな自分”に気づくこともあるので、とにかくチャレンジすることが大切です。
いろんな経験をしなければ、人生の選択肢は広がりません。そこからどう選択するのは、「自分次第」です!
取材:I LADY.編集部
文・編集:宍戸沙希/ライター(スタッフ・オン)