ILADY

INTERVIEW


「I LADY. 」とは?
自分のこと、そして誰かのことを考えるヒントになる、
アクティビストへのインタビューコラム集。

INTERVIEW#13 読んですぐに女子力アップする今すぐ役立つ、コラム集。アロマセラピスト 大橋 マキさん

フジテレビにアナウンサーとして入社し、人気絶頂の2年で退職した大橋さん。華やかな活躍とヘルシーな笑顔の裏側には、もがき苦しんだ10~20代がありました。その後、アロマセラピストに転身し、結婚・出産、イタリアへの移住も経て、現在は緑豊かな神奈川県・葉山に暮らしている大橋さんが、10代の女の子たちに贈るメッセージとは?

“からっぽ”だったアナウンサー時代

多くの女子学生が憧れる、テレビ局のアナウンサーとして就職した大橋さん。10代から学生時代はどのように過ごしていたのですか?

とにかく親に反発していました(笑)。ごく幼いときは父親の転勤で静岡や茨城など自然が多いところで暮らしていたんですが、小学校の途中からいわゆる新興住宅街に引っ越し、学校の後は塾に通って夜遅く帰ってきて、という毎日でした。何ごとも親が先回りして「これをやってみたら?」と用意してくれるような家庭だったんです。思春期になるとそんなふうにレールを敷かれるのが嫌で、学校をサボることもあったし、特に母とはぶつかってばかりいました。 大学生になってからはその反動か、ずいぶん奔放でした。お金を貯めてアメリカに短期留学したはいいけれど、授業には出ずクラスメイトとバンを借りて砂漠を何日も旅したり。自分が母親になった今から思えば「危なっかしいぁ」と思うこともたくさんありますが、「やりたい!」と思ったら後先考えずに突っ走ってしまう女の子だったんです。そんな中で、自分が体験したり調べたり、見聞きしたことをまとめて自分の言葉で伝えたい、とマスコミを志望するようになりました。出版社や放送局の記者職などを考えてはいたんですが、いちばん最初に受けた試験がフジテレビのアナウンサーで、「ここから頑張ろう」と思ったんです。

でも、狭き門をくぐって就職し、わずか2年で退職されましたね。


「自分の言葉で伝えたい」という気持ちが募る一方で、現実は与えられた仕事を表面的にこなすだけで精いっぱい。新人ですし、渡された原稿をきちんと読むのは大事な仕事なのに、私は、「自分で取材をして、“腹落ち”した言葉を伝えたい」という気持ちが強すぎて、うまく折り合いがつけられなかった。不器用だったんですね。 かといって「自分はどんなことを伝えたいんだろう」と突き詰めてみても、何もなかった。忙しさにかまけていろいろなことを“感じる”余裕もなく心身が疲れ果てて、からっぽになっていたんです。「アナウンサーとして以前に、人としてやり直さなきゃ」と思い詰めた私は、「これからは、起こることは全部感じて、自分が腹落ちしてからやろう」と退社を決めました。

自分が“腹落ち”することを求めて、試行錯誤

アロマセラピストとして活動するようになったのは、なぜですか?

きっかけは、アナウンサー時代に女性向けの情報番組でアロマサロンを取材したことです。セラピストさんが私の肌を優しく触ってくださったとき、心と体の緊張が一気にほどけたんです。そのときによみがえってきたのは、10代のころの母の手の感触でした。私には脊椎側弯症という背骨が曲がってしまう持病があって、中高生のころはずっとコルセットをつけていたんですが、母がお風呂上がりに30分、背中をさすっていてくれたんです。とても反発していた母だったけれど、ある日、母が私の背中をさすりながら疲れて寝入ってしまったことがあって…。手のひらから彼女の思いが伝わってきてブワーッと涙が出てきたことを思い出しました。 毎日「言葉にどうやって思いを込めようか」「自分の感じたことを言葉で伝えたい」とモヤモヤしていた私が、「肌に触れるだけで伝わることもある」という“コミュニケーション”を知ってハッとした瞬間でした。 それで、フジテレビを退職した後は、イギリスで植物療法を学んで、帰国後はアロマセラピストとして病院で働き始めました。また、アロマや代替療法などについてはもちろん、傷ついた人を癒す“セラピードッグ”や、モンゴルに伝わる“喉歌”について取材したりして、「コミュニケーションってなんだろう?」「人と“つながる”ってどういうことだろう?」というテーマを追いかけるようになったんです。

現在お住まいの葉山では、地域福祉のネットワークづくりにも取り組んでいるそうですね。

在宅介護をされている方のリフレッシュを目的に、世代を超えた方たちと一緒にハーブを育てたりティーパーティを開催したりしています。先日も梅の実をみんなで収穫したんですが、足腰が弱ってきているはずのおばあちゃんたちが、本能なのか子供と先を競うように夢中で梅の実を採っていて、生きることの基本に立ち返りました。

噓をついて生きると、足腰に力が入らない

大橋さんのように「やりたいこと」を見つけるために、悩んだりもがいている女の子たちはたくさんいます。

私はとても不器用な方法で今の仕事に行きついたわけですが、要は、自分に正直になることが大切なんだと思います。周りの流れに身を任せて流されるほうがいいときもあるかもしれないし、大人になるにつれて嘘は上手につけるようになるかもしれない。でも嘘をついて生きるのは、足腰に力が入らないというか、気持ち悪いものなんです。そのためには一度、肩書や既存の職業などは全部取り払って、10年後、20年後、どんなふうに生きていきたいか考えてみたらいいいんじゃないでしょうか。そこで自分が何を大切にしたいのか、“自分の中のものさし=価値基準”が見えてくると思います。 大いに悩んだらいいと思うんです。今の苦労や悩みは、絶対に糧になりますから。私自身も、苦労した経験が自分のユニークさをつくってくれたと、つくづく感じています。もともとすごくあがり症だったからこそ、“伝える”ということへの思いが強くなったし、伝わったときの喜びも大きい。骨の病気があったからこそ、“体で感じる”ということへの意識が高いのかもしれない。世の中はいろいろな特技をもったいろいろな性格の人たちの集まりで、他人ばかりが優秀に見えたりすることもあるけれど、また別の素敵なところが自分にもある。そのデコボコした感じも愛おしいなぁ、と今は思うんです。

1男1女の母にもなり、今は心穏やかな日々を送っているのでしょうか? ご自身は、I LADY. キャンペーンのスローガンである“Love yourself, Act yourself, Decide yourself”は、実践されていますか?

今でも自己嫌悪に陥ることはしょっちゅうだし、日常生活を一生懸命やりくりする中で、落ち込んでリカバーして、ということのくり返し。親になっても何ひとつ立派になんてなれないものですね。でも、自分を愛せるような自分でありたい、と努めてはいます。 たとえば夫の仕事についてミラノに行ったり、家族ができると自分の意志とは関係ない決断をしなくちゃいけないときもあります。ほかのI LADY. アクティビストでもっと活動的に飛び回っている方と比べて、自分が思うように動けないことを「不自由」だと感じた時期も正直ありました。でもイタリアに行ったことで、忙しい東京から物理的に離れることで、自分が心地よいと感じられるペースを改めて感じることができたのは貴重な経験でした。家族が自分たち自身を愛しながら過ごせることが、自分の支えにもなってる。悩んだり立ち直ったり、行きつ戻りつおおらかに暮らしていきたいですね。

I LADY. アクティビストとしては、今後、どのような活動をしていきたいとお考えですか?

I LADY. キャンペーンを運営している国際協力NGOジョイセフの活動には、長女を生んだ翌年、2009年から参加しています。過酷な環境で出産しているのにもかかわらず、笑顔が神々しくとても美しいアフリカのお母さんたちの写真を見て、“Mother”という、お母さんをイメージしたアロマのブレンドをつくったり、夫の故郷である東北で、東日本大震災の被災地のお母さんに配るキットに入れるカード式のアロマをつくったり。山形の助産師さんたちの活動資金に充てていただくため、伝統繊維を伝承する活動にも携わりました。これからも自分との接点を探りながら、細く長く、草の根的に続けていけたら、と思っています。

編集後記

人気企業の花形の仕事に就いたものの、自分との折り合いがつけられなかったという大橋さんのお話はとても等身大で、思わず自分の仕事や人生と重ね合わせて聞き入ってしまいました。自分に“正直”であり続けることはきっと大変なことも多いけれど、今の大橋さんの満ち足りた表情を見ていると勇気がわいてくる! 将来の進路を悩んでいる女の子も、子育て中の女性も、一歩踏み出す助けになる記事になることを願っています。


執筆担当:I LADY. 編集部 酒井亜希子/ライター

1977年生まれ。損害保険会社勤務、旅行ガイド専門の編集プロダクションを経て、2003年よりおもに女性ファッション誌の編集を手がける編集プロダクション「スタッフ・オン」に。『Oggi』(小学館)などで、キャリアや結婚、健康など、女性のライフスタイルをテーマとする読み物企画の構成・執筆を担当。さまざまな分野の有識者やタレント、一般企業で働く女性まで、数多くの取材を行う。一女の母。


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